桜井薬局セントラルホールで明日から

「白いリボン」の場面カット

『ピアニスト』『隠された記憶』等のミヒャエル・ハケネ監督の作品、『白いリボン』(2009年カンヌ国際映画祭パルムドーム賞受賞)がついに明日から桜井薬局セントラルホールで上映されます。

上映期間10月22日(土)〜11月4日(金)まで10時40分、15時40分、18時20分の3回です。

セントラルホールでは当初3月中旬の上映を考えていたそうですが、震災の影響で上映が半年以上遅れていました。やっと実現します。

*11月5日(土)の「阪神大震災 記録映画から学ぶ」の打ち合わせのため明日は羊座3時からの開店になります。

 

山形国際ドキュメンタリー映画祭2011 終了

-

先週閉幕した山形国際ドキュメンタリー映画祭2011のインターナショナル・コンペティション部門の大賞は、イスラエルのルーシー・シャツ、アディ・バラシュ両監督の『密告者とその家族』が選ばれた。

羊座の映画上映日には必ず来店して下さるKATZさんは、2001年の映画祭から山形に泊まり込んで、期間中1本でも多くの作品を鑑賞しようとしているお人です。自分の映画鑑賞は趣味の域を超えて道楽だとおっしゃっています。そんなKATZさんに今回の映画祭で鑑賞した作品の中から感想を寄せて頂きました。

・作品1 『大津波のあとに』(73分) 監督:森元修一

tsuchioto.jpg

冒頭の横にスクロールする長回しのショットが圧巻です。小学校の卒業式での先生のお話に涙があふれました。

・作品2 『アルマジロ』(101分) 監督:ヤヌス・メッツ

-

アフガニスタンの戦場に迫力あふれる映像で迫ります。ハリウッド製の戦争映画は、どこかプロパガンダ臭がしますが、このドキュメンタリーはそこから放たれた位置で戦争を捉えます。

・作品3 『イラン式料理本』(72分) 監督:モハマド・シルワーニ

-

6人(5人+1人)のイラン人女性が台所で料理する様子から、イラン文化、イラン社会が透けて見えます。世代間の違いが、変わりゆくイラン社会を写し出します。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111012-00000034-flix-movi

 

 

ヴェンダース監督 フォーラム福島で舞台挨拶

もうご存知の方も多いかと思われますが、『パリ・テキサス』『ベルリン天使の詩』等のヴィム・ヴェンダース監督が、フォーラム福島に新作『pina ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』とともにやってきます。

詳細やヴェンダース監督のコメントはフォーラム福島のホームページでご覧ください。

*試写会希望の方は応募が必要です。

郵便番号、住所、氏名、年齢、電話番号、メールアドレスを記入。

メールpina@forum-movie.netまたは往復はがきでの応募です。 『pina』3D試写会係まで

私も昨日応募しました。当選した時には会場でお会いしましょう。

http://news.walkerplus.com/2011/0727/3/

←情報提供者の倉中さん有難う。

浦山桐郎監督 その4

(前回に引き続き、作家長部日出雄氏の「紙ヒコーキ通信3」から)

「日活アクション全盛時代のさなか、1962年に早船ちよの児童文学を原作にした『キューポラのある街』でデビューした浦山桐郎監督は、じつにみずみずしくナイーブな感性で「内面」と「生産」と「同一」の大切さを懸命に訴えた。これは貶めたいい方ではない。「外面」「消費」「差異」をめざす圧倒的な時流に抵抗したこの映画は、貧しい人と差別されている人たちが、手を結んで生きていこうとする姿のひたむきさ、健気さ、いじらしさに、いま見ても涙が出る。」

1962年キネマ旬報ベスト・テンで『キューポラのある街』は切腹、椿三十郎、人間、おとし穴、秋刀魚の味、秋津温泉等の作品をおさえて第2位に選ばれている。翌年の『非行少女』は同10位。1969年の『私が棄てた女』もまた同2位である。

長部日出雄氏は69年度の1回だけキネマ旬報の選考に参加したことがあり、なんと『私が棄てた女』を1位に挙げている。

繰り返すようではあるが、新書館の「映画監督ベスト101 日本篇」になぜ浦山桐郎監督が紹介されていないのだろうか。編者の川本三郎氏は「一人でも多くの人に、日本映画の力を知って欲しい」とはじめに述べている。「ページ数に限りがあるので、すべての監督を紹介する訳にはいかず」とのことだが、それにしても浦山桐郎監督の仕事はベスト101の中にあるべきではなかっただろうか。101人の中にはかつてシナリオ作家協会付属・シナリオ研究所浦山ゼミで学んだ、小栗康平、長谷川和彦、柳町光男等が紹介されているのだから尚の事であろう。

浦山桐郎監督 その3

作家の長部日出雄氏は「紙ヒコーキ通信3 映画は夢の祭り」(文藝春秋・1988年7月刊)の中で、浦山桐郎監督について幾度か記述している。

「(1985年)ソ連作家同盟の招待で、10月中旬からハバロフスク、モスクワ、レニングラード、トビリシ(グルジア共和国)を歴訪し、11月1日に帰えってきた新潟空港から自宅に電話して最初に聞いたのが、浦山桐郎監督の訃報でした。」

新幹線に乗り夜の上野駅に着いた長部氏は、「浦山さんが大好きだった浅草へ行き、並木藪蕎麦の座敷に坐って酒を口に含んでいるうちに、急速に寂しさと悲しみが盃の底から込み上げてきた。」

「翌日、浦山監督の自宅を訪ね、写真に御灯明をあげ」帰宅した長部氏は、『キューポラのある街』を見直した。「まったく、なんとよくできた作品なのだろう。これが映画なのだ。凡庸なショットがひとつもなく、すべての画面が自由な感覚と想像力に溢れ、柔軟な弾力に富んでいて、新鮮で清冽でみずみずしい。」「人間も風景も物も、何もかもが生きている。むろん浦山監督も-。正直にいって、ぼくは泣けて泣けて涙がとまらなかった。これがぼくの通夜だった。」

「浦山さんは『弱さ』と『貧しさ』にこだわり通した。その意味で彼は『戦後』の表現者であり、体現者だった。」

「浦山桐郎のリアリズムは、自然主義的なじめじめしたものではなく、清冽な抒情を湛えた詩的リアリズムである。『キューポラのある街』『非行少女』『私が棄てた女』の3本だけとっても、日本映画史に不滅の位置を占める監督であると、ぼくは確信する。作品の数は少なかったけれど、これほど名監督という呼び方がふさわしい人は珍しい。」(つづく)

浦山桐郎監督 その2

映画「非行少女」(1963年)と「私が棄てた女」(1969年)のビデオをお持ちの方、お貸しいただけないでしょうか。「非行少女」はアマゾンで3万円で販売されていますが、高価で手が出ません。

浦山桐郎監督研究を始めたいので、是非とも観たいと思っています。

浦山桐郎監督

昨日ブログに記載した浦山桐郎監督について知りたいと思い、川本三郎編の「映画監督ベスト101日本篇」(新書館・2003年刊)を読みましたが、浦山監督の紹介が載っていません。なぜなのでしょうか。これきっかけに浦山監督とその周辺の世界を研究したくなりました。

阪神大震災 記録映画から学ぶ

阪神大震災で被害の大きかった神戸市長田区鷹取地区を撮影し、復興までの道筋を追い続けたドキュメンタリー映画監督の青池憲司氏が、11月5日(土)2時から右岸の羊座で講演を行います。講演と共に「野田北部・鷹取の人々14」上映会もあります。今年6月から青池監督は、宮城県石巻市に1年間住み込んで東日本大震災後の復興までの歩みを撮影中です。「宮城からの報告~こども・学校・地域」http://www.miyagireport.org/

神戸と石巻という2つの被災地を撮り続けている青池監督の目線でお話を伺って行きたいと思います。そして12日(土)2時にはコミュニティの再生を記録した「阪神大震災 再生の日々を生きる」の上映会も行います。詳細は下記のチラシをクリックして下さい。

宮城県は再び宮城県沖地震の様な震災が起きるであろうと予想されていたために、県民が震災に対する意識を深める事がとても大切とされていました。神戸の震災の体験談から学ぶべき事があるはずだと、神戸映画資料館で毎年1月に上映している青池監督の作品を上映する必要性を考えていました。6月に仙台市内で上映会を行う予定でしたが、計画がストップしていました。

ドキュメンタリー映画「宮城からの報告~こども・学校・地域」

東日本大震災の被災により、困難な状況にある人々がどのようにそれを克服していくのか、石巻市の門脇地区、門脇小学校にカメラを据えて、こども・学校・地域のその長い生活再建の歩みを丹念に記録したドキュメンタリー映画がもうすぐ完成します。監督には、阪神大震災からの地域の復興再生の記録を、一地域に腰を据え5年の長い年月をかけて撮った青池憲司氏があたります。

http://miyaginet.ic-blog.jp/movie/ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E6%B1%A0%E6%86%B2%E5%8F%B8

*11月上旬には右岸の羊座で、青池憲司監督の阪神大震災のドキュメンタリー映画を上映します。詳細決まりましたらブログでご案内致します。