映画『流れる』

近頃は女優・山田五十鈴さんを偲んで出演作品を出来る限り鑑賞しています。多数の作品の中から幸田文原作、映画『流れる』(1956年、117分、成瀬巳喜男監督)の山田五十鈴さんが私はとても好きです。柳橋の花柳界を舞台に、芸者置屋「つたの屋」に集う女たちを描いたこの作品。終盤の三味線を弾く五十鈴さんが最高にカッコイイです。

新藤兼人監督4

『新藤兼人の映画著作集Ⅰ―殺意と想像―』(1970年、ポーリエ企画発行)より抜粋

プロのきびしさをわたしに最初に思いしらせたのは溝口健二だ。「君は芝居というものをしりません」といわれたとき、すぐにわたしは心で反発した。芝居なぞとは古い!ドラマは人間を書くんだ、芝居を書くんではないと。芝居ということばを、泣いたり、笑ったり、涙をしぼる悲劇劇場をみせたり、役者の芸の積み重ねだったり、と若いわたしは軽蔑していたのだ。そのくせ、涙をしぼる舞台も芸ごとも、なにひとつ深くはきわめていなかったのである。ただ若さの特権で古いものを否定すればいいと思いあがっていたのだ。怖ろしいものがしだいにわたしをおし包んできた。一人では芝居にならない。二人以上でないと人間は語りあえない、三人になれば三角の地点で向き合える。四角になれば四つの角度の葛藤が起きるのではないか。芝居になるかならないかということは、人間同志が語りあえるかあえないかの条件なのである。

“忠臣蔵”のとき、大石内蔵助が、江戸の主君のことを思って夕闇の縁に独り佇みところがシナリオに書いてあった。わたしはその演出のとき美術をやったのだからつきまとって観察していたのだが、シナリオには、庭に咲く白い花(何の花であったか)をみて、大石がじっと佇んでいることが書いてある。花などにたくして情景の描写や心情などを語るのは映画がよくやる手であって、ありふれているともいえるし、また何べん使っても悪くはない手である。そのとき溝口さんは、台本をたたいて腹だたし気にいったものだ”花などは芝居をしません。花の気持ちをどうして撮るのですか”なるほど、花は芝居をしない、しかし花を使って(この場合適当であるかどうかはわからないが)心理描写の手段とするのは映像を言語とする映画の独特の手法であるが、頑としてそれをうけつけないところに溝口健二の面目がある。溝口健二は溝口的演出の自由をもつと同時に窮屈さももたねばなるまい、それが作家の個性だし、作家とはそういう不自由なものである。一人の信頼するシナリオライターをつかまえて、猛々しい調子で”君は頭が悪いからシナリオを書くのをやめ給え”といった溝口健二。また一人の尊敬する役者をつかまえて憎々し気に”君のようなヘタな役者は死に給え”と叫んだ溝口健二。

その時、溝口健二は、力をこめて自分を刺していたのだ。人は地上から消えてしまうと、あとには何も残らない。親しく接した人が面影を伝えるにしても語りつたえでしかない。またその語りつたえた人が地上から姿を消してしまうとただ読み物としての人物像が残るのみであって、紙くさい古びたものになる。そしてやがて何千年もたてばおそらくまったく消滅してしまうだろう。それをわたしも信じる。わたしがここで溝口さんのことにたくさんふれたのは、溝口健二を思うとき、刺す勇気を新たに教えてくれる人だったからである。(終)

新藤兼人監督3

『新藤兼人の映画著作集Ⅰ―殺意と想像―』(1970年、ポーリエ企画発行)より抜粋

一人のライターを刺し殺したい。いきいきした強力なライターを、ただひと突きで刺し殺したい、わたしはカッカッと燃える熱気でからだのうずきを感じるときがある。なんのために仕事をするか、まずは食わねばならぬ、それはしれたことだ、食うためには努力はできるが熱狂はできない、熱狂しなければシナリオは刺せない、わたしは溝口健二に刺されたとき、生活の不安でまず足がふるえたが、ほんとうは仕事への怖れでで全身がふるえた。それまでシナリオなんて仕事はイキで優雅な字を書くショウバイと心得ていた。荒々しく歯を鳴らしてわたりあい、たおしあうものとはしらなかったのだ。(中略)溝口健二のように、刺すか刺されるか、斬るか斬られるか、つねに対決の身がまえを前面にだしていないすぐれた才能が消耗し、精神がちかんしたとき、しぜん勝負師の気魂は失われて、人間はまるくなり、刺したりする暴力などには真に嫌悪をおぼえる善人になってしまうのであるが、そのときその人間の作家は死んでいるのである。(中略)刺すか刺されるかでは、溝口健二はつねに自分自身を刺しつづけて生きてきた。一年ばかりを準備をして、配役もやったときめて、いざかかろうというときに「やめます」といって、門をとざして出てこようとしなかったこともある。ながい人生の、たくさんの仕事だから、一本ぐらい気をぬいてもいいではないか、ということが溝口さんには通用しない、徹底してまず自分に正直だった。人間はながい旅路を生きる、ながい時間があるようだが、仕事の時間というものはごく少い、とわたしに語った人がいる。八ヶ岳山麓の考古学者で、一生を投げうって縄文土器を掘り出した人だ。八十になるまで五十年も掘りつづけたが、仕事の時間はまことに少なかったと笑って語る人であった。

シナリオを趣味で書いている人がいる。それはいいことだとわたしはいっている。しかしほんとうはさんせいしない。趣味でやればいつでも退ける。他人を傷つけることはないし、なにより自分が傷つかない。こういう人のシナリオは刺したり刺されたりはしないから安全である。なにごともフタマタということはもっとも卑怯だ。卑怯な精神ではシナリオは書けない。書くことはたたかいである。たたかいに二つの道はない。ただ相手をたおすのみである。だれでも一生に一本はすぐれたシナリオを書く条件がある。それは自分という天下にたったひとりの人間をよく知っているから自分を書けばいいのである。しかしそれでも趣味では書けない。余技ではいけない。完全にシナリオという世界に籍を移さなねば書けない。(つづく)

新藤兼人監督2

『新藤兼人の映画著作集Ⅰ―殺意と想像―』(1970年、ポーリエ企画発行)より抜粋

溝口監督が、『浪速悲歌』『祇園の姉妹』につづいて、新興キネマ(いまの東映大泉撮影所)で『愛怨狭』を撮ったのは、昭和13年のことである。そのときわたしは美術の助手をしていてその仕事についた。美術助手をしながらものにならないシナリオをせっせと書いていたのである。新興キネマは三流の映画会社で、お涙もののメロドラマばかり作っていたので、溝口監督のセットの仕事ぶりをみて、身のひきしまるような思いがした。午めしになっても溝口監督はセットから出てこない、監督椅子にかけたままカレーライスを食べている姿を、しばしばわたしはみている。この人に師事して仕事をおぼえたいとわたしは思って、京都に帰った溝口さんを頼って会社をやめて東京を離れた。新興キネマ、大映映画、日活が合併して大映になるときで、わたしは思いきって京都へ行った。

溝口さんという人は、自分の仕事のためならあらゆるものを一度は口に入れて味をみてみる人である。溝口さんは一人前のライターでも扱うような態度でわたしを迎えてくれた。どの新人にも最初はそうなのであるが、わたしは溝口さんの知らない温かい一面を見直すようなつもりで、京都へ居を移したことがよかったとよろこんだ。

早速シナリオ一本を書いて溝口さんの所へもっていった。その頃溝口さんの家は御室仁和寺の山門の前にあって、生垣に囲まれた手ごろな二階家であった。あたりは品のいい住宅地で関西好みの石崖と植込みのしずかな一郭であった。

シナリオをさし出すと、溝口さんはうれしそうに顔を崩され、そうかね、書いたかね、読ませてもらいましょう、あしたきてくれ給え、などと上機嫌で、散歩に仁和寺の裏山へ行ってみよう、と誘ってもらったりした。

翌日、行くと座敷へ女中さんに通された。間もなく溝口さんがわたしのシナリオをもってこられて、ぽい、と投げ「これは君、新藤君、シナリオじゃないね、すじ書きですよ」といわれた。

これは、わたしが書いた『愛妻物語』というシナリオの一場面である。その日わたしは、どういう風に溝口宅を辞して、どういう風に下鴨宮崎町のわたしの家へ帰ったか、ぜんぜんおぼえていない。気もそぞろであった。まさに一刺し刺し貫かれたのである。生活と人生を賭けて京都へ移ったのである。その頼みとする相手から、君はダメだ、とやられてしまったのだ。

溝口さんには手加減というものがなかった。いまでもわたしが懐しくその心情にひたりたいと思うのは、そのきびしさの見事な構えである。東京から頼ってきた新人のシナリオ・ライターだから、手加減して批評をしようなぞというなまぬるさはないのだ。むしろわたしのシナリオをみて腹が立ったのかも知れない。そのとき、あまりのショックにわたしが自殺したとしても、溝口健二はびくともしなかったにちがいない。そのときのわたしも手加減されていたら、きょうまで生きてきたかどうかは疑問である。

溝口さんが子役に演技をつけるときもそうである。子役であろうと対等なのである。それは溝口健二が全身でぶつかってゆくところの一個の孤立した存在なのである。新人であろうと子役であろうと、抜身を構えた真剣勝負の状態になる、相手を刺すか刺されるかが待っている、溝口監督に刺し殺されてダメになった人は実に多い。

仕事は、人間を殺すのである。新しい一つの仕事はシナリオを刺すのだ。既成を一つ刺し殺したとき一つの仕事が生まれるのだ。一人のシナリオ・ライターは、だれかを確実に刺し殺して生まれ、いつかだれかに刺し殺されるだろう。シナリオとシナリオが仲よく同居することはない、たおすかたおされるかである。わたしは悲壮がっているだろうか、そんなことはない、わたしは過去のでこぼこの長い道を歩いた経験でそのことをよく知っている。(続く)

新藤監督が亡くなられた・・・。

「裸の島」「鬼婆」「午後の遺言状」など、数々の名作を残した映画監督・脚本家で文化勲章受章者の新藤兼人(しんどうかねと)さんが、29日午前9時24分、東京都港区赤坂の自宅で老衰のため亡くなった。100歳だった。

<新藤兼人監督を悼む>

▼監督作「生きたい」に主演した俳優三国連太郎さんの話 ものづくりに対する映画人としての姿勢をかねがね尊敬していました。最長老の監督として、最後の最後まで現場で闘い、最後にまた「一枚のハガキ」という素晴らしい映画を撮影したのはお見事でした。亡くなったのは、とても残念です。

▼映画評論家の佐藤忠男さんの話 先日、100歳の誕生パーティーでお会いし、だいぶ弱っている様子だったので心配していた。代表作といえば「裸の島」だが、最後の作品となった「一枚のハガキ」が何より素晴らしかった。100歳を目前にして、これだけの映画を撮ったことは驚くべきこと。死の直前まで最高の仕事を続け、次の世代に残した。低予算のため華やかな作品はないが、半世紀以上にもわたり、独立プロで作りたい作品だけを作り続けた人は、世界でも類がない。そういう意味では、映画作家として幸せな人生だったと思う。どうぞゆっくりお休みください。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E8%97%A4%E5%85%BC%E4%BA%BA

経歴を拝見しても1933年(昭和8年)に映画を志し、1935年(昭和10年)現像部でフィルム乾燥の雑役から映画キャリアをスタート。80年の時が経過しようとしています。

新藤 兼人

映画『タンポポ』

4月8日に亡くなった俳優・安岡力也さんお別れ会のニュースを今朝目にしました。

映画『不良番長シリーズ』など数多くの映画に出演。個人的に印象深い出演作品は、映画『タンポポ』(1985年、115分、日本、伊丹十三監督)のビスケン役。主人公ゴロー(山崎務)との殴り合うタイマンシーンで好演。良かったです。

 

映画『照明熊谷学校』明日2時上映

右岸の羊座で開催する「アーティストドキュメンタリーシリーズ上映会2」。明日午後2時からは映画の照明技師・熊谷秀夫さんの仕事ぶりを綴ったドキュメンタリー映画『照明熊谷学校』(76分、2004年、日本、和田誠監修、小泉今日子ナレーション)を上映いたします。料金800円。

大映京都から日活シスター・ピクチュア、ロマンポルノを経て50年あまり、携わった作品は150本を超える熊谷秀夫。本人の言葉と彼の光で照らされた25本の映画たちとともに多くの関係者の証言を交えたドキュメンタリー。

スクリーンを見つめているとき、わたしたちの目には何が映っているのでしょう。物語に夢中になったり、スターのしぐさに見とれたり。どんなに本物に見えてもそれは大勢の人々が撮影現場で作りあげたもの。けれどそのとき、スクリーンの向こうから光を投げかける人がいます。たいていは控え目で、でも時にはおもいきり大胆で。そして必ず心をこめて―。スクリーンにあふれる光、闇を照らすたったひとつの光。映画を見ているわたしたちの心にはいつでもそんな光が届いているのです。

  

映画『嗚呼!!花の応援団』

嗚呼!!花の応援団

昨日のブログで「シネマトゥデイ―曽根中生監督」の話題を取り上げました。とても気になる監督ですね、曽根監督。日活ロマンポルノを終焉まで見送ったり、松竹に貸し出されたりテレビも手堅く演出するの職人監督として知られていた様です。日本映画に詳しい方に聞いてみても、当時の日本映画界で数々の傑作を生み出していたが、『嗚呼!!花の応援団』(ああ!!はなのおうえんだん)(曽根中生監督、1976年〜、日活)シリーズは傑作との返事でした。どおくまんプロ原作による同名劇画を、鈴木清順門下の曽根中生(監督)&田中陽造(脚本)コンビで映画化、日本中に一大ブームを巻き起こした大ヒットシリーズ。 コミックムービーの金字塔。

 

生きつづけるロマンポルノ

製作費750万円、上映時間70分以内、撮影は最小限スタッフ編成、オールアフレコ、オールカラーで10日間、という一応の枠組みはあったものの、自由に撮れる場として多くの若き才能が開花、2本立て、3本立てを維持する量販体制から1971〜88年までの17年間で約1100本の作品群が誕生した「日活ロマンポルノ」。日活が創立100年を記念しての特別企画<生きつづけるロマンポルノ>特集上映が5月12日よりユーロスペスで始まった。厳選された32作品に加え、幻の初公開作『白昼の女狩り』(1984年、曽根中生監督、森下馨脚本)も登場。

日活創立100周年記念 特別企画「生きつづけるロマンポルノ」予告篇

曽根中生監督、20年ぶりに!(シネマトゥデイ) http://www.cinematoday.jp/page/N0042052