又も訃報

映画監督の森田芳光さんが亡くなった。

http://woman.infoseek.co.jp/news/entertainment/story.html?q=21fujizak20111221015

あがた森魚さんも急な訃報に大変驚いていました。

「12月上旬の函館映画祭で会う予定だったのが、体調が悪く出席出来ないとの連絡を受け、その後を安じていた。若すぎる、まだこれからだったのに・・・。」

映画「家族ゲーム」(1983年)の松田優作と伊丹十三の絶妙の掛け合いが忘れられません。

映画『忌野清志郎 ナニワ・サリバンショー〜感度サイコー!!!〜』

http://www.nanisari.jp/  (監督:鈴木剛、2011年、114分)

忌野清志郎が、仲間たちと大阪城ホールで敢行してきたライブ・レビュー“ナニワ・サリバン・ショー”。そのステージ模様を捉えた映像と清志郎と縁深かった友人たちが出演したドラマを融合させた、ファンならば必見のロックンロール・ムービー。

3.11後を生きる早く、遅く。

神戸映画資料館で第3回神戸ドキュメンタリー映画祭「3.11後を生きる早く、遅く。」が12月3日(土)〜開催されます。

3月11日に起きた東日本大震災、広く映像に携わる人々が厄災がもたらしたものについて考え、すぐに作品としてかたちにしました。この動きは阪神・淡路大震災の時とは大きく異なるものです。神戸映画資料館は、神戸でも最も震災の被害の大きかった地・長田区にあります。被災地の街の復興、そこに暮らす人びとの心の問題・・・・・。迅速な対応と解決が求められると同時に、長い年月が必要な側面もあることを神戸の人たちは知っていることでしょう。映画を通して、そのことについて考えたいと思います。

(「3.11後を生きる早く、遅く。」のチラシより)

今月5日、12日羊座の「阪神大震災 記録映画から学ぶ」の中で上映した青池憲司監督作品『わたしはここにいます〜石巻・門脇小学校・夏』(2011年/29分)も12月10日、11日に参考上映されます。

 

映画『この広い空のどこかに』

桜井薬局セントラルホールで「日本映画黄金期を支えた名優たち」の上映会が11月6日(日)〜開催されています。昨日は映画『この広い空のどこかに』(1954年)を鑑賞してきました。

http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD18181/story.html

デビュー間もない小林正樹監督と楠田芳子、松山善三脚本の松竹大船調の情景豊かな作品でした。

大船調とは「人間の善意っていうようなもの、その讃歌だったんじゃないか。」と大庭秀雄監督はインタビューで当時を振り返っています。

http://www.dgj.or.jp/my_cineast_life/article/000211.html

 

 

 

浦山桐郎監督 その4

(前回に引き続き、作家長部日出雄氏の「紙ヒコーキ通信3」から)

「日活アクション全盛時代のさなか、1962年に早船ちよの児童文学を原作にした『キューポラのある街』でデビューした浦山桐郎監督は、じつにみずみずしくナイーブな感性で「内面」と「生産」と「同一」の大切さを懸命に訴えた。これは貶めたいい方ではない。「外面」「消費」「差異」をめざす圧倒的な時流に抵抗したこの映画は、貧しい人と差別されている人たちが、手を結んで生きていこうとする姿のひたむきさ、健気さ、いじらしさに、いま見ても涙が出る。」

1962年キネマ旬報ベスト・テンで『キューポラのある街』は切腹、椿三十郎、人間、おとし穴、秋刀魚の味、秋津温泉等の作品をおさえて第2位に選ばれている。翌年の『非行少女』は同10位。1969年の『私が棄てた女』もまた同2位である。

長部日出雄氏は69年度の1回だけキネマ旬報の選考に参加したことがあり、なんと『私が棄てた女』を1位に挙げている。

繰り返すようではあるが、新書館の「映画監督ベスト101 日本篇」になぜ浦山桐郎監督が紹介されていないのだろうか。編者の川本三郎氏は「一人でも多くの人に、日本映画の力を知って欲しい」とはじめに述べている。「ページ数に限りがあるので、すべての監督を紹介する訳にはいかず」とのことだが、それにしても浦山桐郎監督の仕事はベスト101の中にあるべきではなかっただろうか。101人の中にはかつてシナリオ作家協会付属・シナリオ研究所浦山ゼミで学んだ、小栗康平、長谷川和彦、柳町光男等が紹介されているのだから尚の事であろう。

浦山桐郎監督 その3

作家の長部日出雄氏は「紙ヒコーキ通信3 映画は夢の祭り」(文藝春秋・1988年7月刊)の中で、浦山桐郎監督について幾度か記述している。

「(1985年)ソ連作家同盟の招待で、10月中旬からハバロフスク、モスクワ、レニングラード、トビリシ(グルジア共和国)を歴訪し、11月1日に帰えってきた新潟空港から自宅に電話して最初に聞いたのが、浦山桐郎監督の訃報でした。」

新幹線に乗り夜の上野駅に着いた長部氏は、「浦山さんが大好きだった浅草へ行き、並木藪蕎麦の座敷に坐って酒を口に含んでいるうちに、急速に寂しさと悲しみが盃の底から込み上げてきた。」

「翌日、浦山監督の自宅を訪ね、写真に御灯明をあげ」帰宅した長部氏は、『キューポラのある街』を見直した。「まったく、なんとよくできた作品なのだろう。これが映画なのだ。凡庸なショットがひとつもなく、すべての画面が自由な感覚と想像力に溢れ、柔軟な弾力に富んでいて、新鮮で清冽でみずみずしい。」「人間も風景も物も、何もかもが生きている。むろん浦山監督も-。正直にいって、ぼくは泣けて泣けて涙がとまらなかった。これがぼくの通夜だった。」

「浦山さんは『弱さ』と『貧しさ』にこだわり通した。その意味で彼は『戦後』の表現者であり、体現者だった。」

「浦山桐郎のリアリズムは、自然主義的なじめじめしたものではなく、清冽な抒情を湛えた詩的リアリズムである。『キューポラのある街』『非行少女』『私が棄てた女』の3本だけとっても、日本映画史に不滅の位置を占める監督であると、ぼくは確信する。作品の数は少なかったけれど、これほど名監督という呼び方がふさわしい人は珍しい。」(つづく)

浦山桐郎監督 その2

映画「非行少女」(1963年)と「私が棄てた女」(1969年)のビデオをお持ちの方、お貸しいただけないでしょうか。「非行少女」はアマゾンで3万円で販売されていますが、高価で手が出ません。

浦山桐郎監督研究を始めたいので、是非とも観たいと思っています。

浦山桐郎監督

昨日ブログに記載した浦山桐郎監督について知りたいと思い、川本三郎編の「映画監督ベスト101日本篇」(新書館・2003年刊)を読みましたが、浦山監督の紹介が載っていません。なぜなのでしょうか。これきっかけに浦山監督とその周辺の世界を研究したくなりました。

台風その後

羊座は台風の被害は特に無く、通常通りの営業を行っております。

しかし羊座関係者の中には、地震でも被害が大きかった地域にお住まいの方で再び浸水被害にあわれた方もおります。お見舞い申し上げると共に、また落ち着いたらいつでも話に来て下さいね。

前回ブログの中でドラマ「傷だらけの天使」の事を書きましたが、嬉しい情報をコメントに頂きました。10月7日からBS日テレで再放送されるそうです。詳しくは前日のブログ「台風の一日」のコメント部分をクリックして下さい。情報有難うございました。