(前回に引き続き、作家長部日出雄氏の「紙ヒコーキ通信3」から)
「日活アクション全盛時代のさなか、1962年に早船ちよの児童文学を原作にした『キューポラのある街』でデビューした浦山桐郎監督は、じつにみずみずしくナイーブな感性で「内面」と「生産」と「同一」の大切さを懸命に訴えた。これは貶めたいい方ではない。「外面」「消費」「差異」をめざす圧倒的な時流に抵抗したこの映画は、貧しい人と差別されている人たちが、手を結んで生きていこうとする姿のひたむきさ、健気さ、いじらしさに、いま見ても涙が出る。」
1962年キネマ旬報ベスト・テンで『キューポラのある街』は切腹、椿三十郎、人間、おとし穴、秋刀魚の味、秋津温泉等の作品をおさえて第2位に選ばれている。翌年の『非行少女』は同10位。1969年の『私が棄てた女』もまた同2位である。
長部日出雄氏は69年度の1回だけキネマ旬報の選考に参加したことがあり、なんと『私が棄てた女』を1位に挙げている。
繰り返すようではあるが、新書館の「映画監督ベスト101 日本篇」になぜ浦山桐郎監督が紹介されていないのだろうか。編者の川本三郎氏は「一人でも多くの人に、日本映画の力を知って欲しい」とはじめに述べている。「ページ数に限りがあるので、すべての監督を紹介する訳にはいかず」とのことだが、それにしても浦山桐郎監督の仕事はベスト101の中にあるべきではなかっただろうか。101人の中にはかつてシナリオ作家協会付属・シナリオ研究所浦山ゼミで学んだ、小栗康平、長谷川和彦、柳町光男等が紹介されているのだから尚の事であろう。